ON THE ROAD ~walk slowly~

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東北レポ

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先日の報告通り、一週間ほど東北に行ってきました。

大阪から仙台まで深夜バスで13時間。
予想していたほどの冷え込みはなく一安心。仙台の町は普段の生活が戻っているようでした。
レンタカーで三陸海岸沿いを北上し、気仙沼へ。仙台の平静で少し安心をして、途中牛タンを食べたり、松島で遊覧船に乗ったりとのんびりと北上。そんなお気楽道中も、石巻あたりから景色は一変し、津波で一階部分が大破した家々、数メートルに積み上げられた瓦礫の山が目に入るようになりました。
南三陸あたりを通過したあたりでもう日も暮れて、あたりは真っ暗、カーナビの地図にあるはずの町の明かりが全くなく、不安が大きくなります。車のバックライト、コンビニの明かり、たまにすれ違うパトカーの赤色灯だけ。コンビニの明かりがあんなにも有り難いものだとは思いませんでした。

気仙沼到着後、ボランティアセンターの宿泊所として開放されていた公民館に宿泊し、翌日朝からボランティアの作業を開始となりました。
作業は、瓦礫の撤去。現場は3月11日の夜にニュースでも取り上げられていた重油が流出し大規模火災が発生した地域にある住宅跡。住宅跡と言っても、瓦礫が散乱した四角いコンクリートの囲みが並んでいる地帯な訳ですが。。
大きな瓦礫はすでに撤去されており、基礎の部分にたまったコンクリートや瓦の破片、砂利などを仕分けして、土嚢に詰めていく。10人程度のグループで、一日に一軒分を終わらせれるかどうかという作業量で、まだまだ手つかずの家もありまだまだ時間がかかるなというのが第一印象でした。
ちなみに作業は朝9時から夕方3時ごろまでで、昼の一時間休憩と作業一時間ごとに10分ぐらいの休憩があるため、呆気ないぐらいに終了しますが、怪我防止と継続的に来てもらうための措置なようです。

気仙沼では、被害の大きかった港の地域に復興屋台村というのが開設されて、もともとその場所で商売をやっていた方が店を出せるようになっていました。夕食はよくそこに足を伸ばし、地元の料理を堪能しました。
また、地元の方、仕事で来ている方などともしゃべることが出来て貴重な話もいろいろ聞くことが出来ました。
今回、印象的だったのは、ボランティアの作業で来てもらうのも非常に有り難いけど、実際に現状を見て知って欲しい、忘れないで欲しいと言っていたこと。
ボランティアが必要な仕事も減ってきて復興も次の段階に入りつつある中、被災地以外に住む人間にとってこの言葉は非常にグサッときました。常に自分にできることは考えていこうと思います。

瓦礫撤去の他には、写真の洗浄をして持ち主に返したり、仮設住宅への物資の配給し分けなどがありました。
徐々に企業も入り経済活動が活性化して行くのが望ましいですが、ボランティアの需要も減っていますが、必要な部分もまだまだ残っています。
今回の瓦礫撤去も、土地整備の会社を入れる前に、大方の瓦礫を撤去し基礎部分のみにしておく必要があるためボランティアが入っているのが現実なようです。

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気仙沼の滞在を終えて、以前旅行中に知り合ったいわきの友人と会うことが出来ました。
いわきは福島第一原発から35キロの距離にあり、友人は震災後は東京に数日避難していたものの、今はいわきで仕事をし、以前通りいわきに住んでいます。
奇しくもこの再会の数日前に、原発の保証としていわき市からの自主避難者、在住者に8万円(妊婦、子供には40万円)の支給が決定されました。

いわきの状況としては、震災後はゴーストタウンと化し、政府からも外出を控えるような指示が出されていたようですが、今はまったく今まで通りの生活をしているようです。
ふと、いわきから出る気はないのですか?と聞いてしまったのですが、出たくない訳ないですよね。震災、原発事故後、すぐに町を出た人も少なくなかったようですが、今は仕事のこと、家族のこと、引っ越し先での不安、人によって様々な事情があり、いわきを出れない人が多いようです。
放射能という目に見えないものに対して目を背けようとしている現実、「いっそのこと爆発でもすれば、すべてを投げ出して逃げ出すことができるのに」という言葉など、返す言葉もなかったです。
今思えば気仙沼で感じた「まだまだ時間がかかるな」という感想は、復興という道を少しずつでも進んでいる宮城県、岩手県の海岸地域に対してであって、福島はまだその道への一歩もなかなか踏み出せない状態なんだなとよりいっそう感じた瞬間でした。
もちろんいわきのハワイアンセンターなど復興に向けて進み始めているのも事実ですが、友人の言葉には考えされるものがありました。

今回、短い期間でしたが実際に被災地を目に見て、話すことで、気づけたことは非常に大きかったです。
少しだけ気仙沼の写真をあげておきますが、是非お休みの都合などがついたら被災地に行ってみてください。
食べ物もおいしいですし、旅行感覚で入ることに関してはもう復興の邪魔になるようなことはないと思いますよ。

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D5000 + 18-55mm F3.5-5.6G

http://www.flickr.com/photos/powerwoods/sets/気仙沼/

息もつかぬ間に今日の夜の便でマニラに出発します。
では、行ってきます!!
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by powerwoods | 2011-12-13 11:48

ご報告

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ご報告。
20代後半の独身男がこう書くと、一般的には結婚だとか転勤、転職あたりの大人な話になるもんだとは思いますが、そのへんは予想は裏切って参ります。
いや、ある意味予想通りという人も多いかもしれませんが。

今回の報告とは、退職と今後についての報告です。
この度11月30日をもって約4年半勤めた会社を退職しました。
そして、12月13日に日本を出発して世界一周の旅に出ます。
この場での報告になってしまい申し訳ありません。

卒業後入社してから4年半。
入社当時は忙しさから時間も精神的にも余裕のない日が続き、趣味の時間や今後について考える機会もほとんど持てなかったのですが、ここ1~2年はやっと自分の時間が持てるようになってきていました。
ずっと行きたかった屋久島や富士山、フジロックや朝霧JAMに行ったり、カメラを始めたり。その中での新たに出会った世界と友人。
そんな充実した生活の中で、自分の中で沸き上がってきた感情は、また世界を旅してみたいという気持ちでした。

学生時代には見ることの出来なかったアメリカやアフリカの自然、アジア、ヨーロッパの町並みをじっくり時間をかけて歩いてみたい。
インターネットの恩恵をもろに受けている世代でもありますが、ここ何年かは自分にとってより”そこにいること”の意味が大きくなってきたような気がします。アラスカの風を肌で感じたい、ナミブ砂漠の赤色をこの目で見たい、ガンジス川の臭いにむせ返りたい(笑)…すべてをリアルに感じたい。
もう少し歳相応のまともな理由や言葉が出てきてもいいものかと思うけど、それらしい言葉で書こうとしても薄っぺらになりそうですし、少なくともこれからのしばらくの期間は自分の気持ちに正直にいようと思います。

今後の具体的な旅程については、12月13日にフィリピンへ出発します。
4ヶ月ほど英語の勉強に集中して、4月ごろ一度帰国予定です。
今回退職後すぐの出発なのでなかなか会えない人もいましたが、4月にはゆっくりとお会いできればと思っています。
準備を整えて、5月ごろからアメリカから(南米、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オセアニアの流れ?)世界一周をスタートさせるといった感じです。

あと、震災について。
東北の状況について、関西に住んでる自分にとってテレビやインターネットのみの情報のみがすべてです。阪神大震災の時は大阪南部に住んでいたので、その状況もリアルには思い出されるものではありませんでした。
3月11日はちょうど仕事を辞めようと思い始めていた時期で、東北が大変な状況の中で楽しみのためだけに海外に行くということに対して後ろめたい気持ちがあり、そういった気持ちは今でも心の底に居座っています。
もちろん一個人がどうこうしても変わるもんでもないのですが、この感情を忘れずに、自分にできることを一つ一つやって、胸を張れるよう生きるのみだと思っています。

その一つとして、今夜、大阪を出発して夜行バスで仙台を目指します。
レンタカーで海岸地域を見ながら気仙沼へ入り、数日間ボランティアをする予定です。
出来ることは少ないかと思いますが、この目で現地の状況を見て、少しでも復興の手助けが出来ればと思います。

また、上の後ろめたさというのは被災地の方に対してのみではなく、家族や大切な人に対してのものでもあるのだとは思います。
胸を張って帰ってくる。
それが出来るよう常に自分に向き合って旅をして行きたいと思います。

では、行ってきます!
最後に大好きな唄の一節を。

”解き放て、いのちで笑え”

満月の夕/Soul Flower Union

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by powerwoods | 2011-12-04 15:46